あらしさんのこと ひとりごと 

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一夜明けて

明けましておめでとうございます。

 

晦日も素晴らしい快晴。暖かくてね。そして、元日の今日も素晴らしい快晴です。

雲のない青い空と、キラキラの凪いだ海。

 

嵐さんが汗と涙で泣き笑いしながら登って行った長い階段。この先の眩い光の中へ。最後の5人の姿を、たくさんの嵐さんへの感謝の言葉で「行ってらっしゃい」と見送ることができてよかった。

素敵なサプライズを仕掛けてくれたチーム嵐のスタッフさん、ファンに気持ちを贈るチャンスを与えてくれてありがとう!

 

只でさえタフな精神力と絆とチームとしての馬力がなければ走りきれないような2年間だったのに。世界がコロナで身動きとれなくなった中でも、とにかくできることを探し続けて5人で最後まで走りきったということ。それがどんなに凄いことなのか。どんなに売れてるスターだったとしても誰にでも出来ることじゃないと思う。こんなこと出来るの、チーム嵐だけだよ。

番組スタッフさんや一緒にお仕事をしてきた各企業の方々、先輩たち、芸人さんたち、すぐ近くの仲間たち。みんなが嵐を守ってくれたし、応援してくれてた。そこには、ビジネスではない一人の人間としての言葉や思いがちゃんとあって。5人にたいしての心からのリスペクトを感じたんだよな。

自分が好きになった人たちは、そういう人たちなんだと。本当にすごいヤツらで、そんな5人に出会えて好きになれたことを誇りに思わずにはいられないよ。

 

ことあるごとに、嵐さんには励まされ、支えられ、元気づけられ、癒されて、背中を押し続けてもらった。それは5人の屈託ない何気ない会話や、笑顔や、お互いを思いやる言葉の中で。そして、愛すべき嵐のたくさんの音楽とパフォーマンスをとおして。

お休み中は、残されたたくさんの思い出と心のなかで鳴りつづけてる嵐の音楽を支えに、またいつの日か会えることを夢見ながら、会えたときに胸をはって会いに行ける人間でいられるように。自分自身も納得できる日々を重ねて生きていきたいと思う。

翔ちゃんが、今後の5人は「嵐に似た何か」であって、それは嵐ではないと言っていた。そこに血や肉があったとしてもそれが届けたい対象に向かって動き、表現することをしないなら。誰かに喜んでもらったり、笑顔にできたりしないなら、嵐とは言えないという気持ち。嵐じゃないと出来ないこと、嵐であることの意味。自分たちが嵐である自負があるからこそだよね。

ファンとして自分が今思うのは、その血や肉が死なないように、いつか動き出すときにそこに変わらぬ命を宿して存在していられるように、それまで5人には幸せに自分の人生を謳歌して生きていてほしいということ。

 

嵐のいなくなった世界で、自分がどんな気持ちになるのかまだ今日現在は未知だけど。ぼちぼち向き合いつつ、たまに愚痴をこぼしつつ、変わらず愛を呟き続けられたらいいなと思ってる。