あらしさんのこと ひとりごと 

大好きなあらしさんのこと 思ったこと 覚書

旅の門出に

昨夜、母と二人でリピ配信を観た。思いのほか母がもう一度観たいというので、仕方なしにリビングのテレビで観た。

本当は一人で部屋のパソコンでイヤフォンして、どっぷり世界に集中して観たかったけど。すでに生ではないし。追々、もっといい画質と音質のDVDが発売される日が来るはずなので、その楽しみ方はその時までお預けとする。

もうこの時点で、たぶん自分はもう泣かないだろうとは思ったけども。本当に泣かなかった。ホテルではあんなに泣いたのになぁ。Twitterをみると、みんな涙涙でむしろ本番より泣いている方多し。その気持ち、すごくわかる気がする。わかる気がするのに自分という人間は、いつも感情がものすごく奥の方にある感じで、すぐ表に出てきてくれない。たぶん、今?!っていうタイミングで突然泣いたりするんだと思う。

自分にとって嵐さんはずっとそこにいてくれてた存在だから。そのままの距離感で、まだそこにいる気がしちゃってるんだよな。慣性の法則みたいに。で、自分は思うわけです。現在進行形で活動していない『嵐』は、もうそこにはいないですか? 自分はいないってことにはならないんじゃないかなと思ってる。

今まで受け取ったところでいったんストップして、また活動が開始されるまでは新しい『嵐』は現れない。更新されないのだけど。実際に大ちゃんには、帰ってくることがなければもう会えないし。ほかの4人のメンバーにも前みたいな感じでは会えなくなるしね。でも、それでも。自分の中には変わらずそこに居続ける『嵐』がまだいる。

嵐の知らないところで、たくさんの人が嵐の存在に助けてもらって生きて。それはこの先も変わらないんだよ。

最後、大ちゃんが実に清々しい表情でいてくれたせいか。潤くんが「行ってきます!」って言ってくれたからか。ちょっと長めの旅に出かけたんだなっていう感覚でいる。行先も、いつ帰ってくるかもわからないけど。なぜか、必ず帰って来てくれるって思ってる。

自分はこの先、今までと変わらず「今ごろ何してるのかな? どこにいるのかな? ごはん食べたのかな? 風邪ひいてないかな? ちゃんと寝てるのかな? 最近映画とか見たかな?.......」って、日常の中で何度も何度も彼らを思うだろう。疲れたりへこんだりした時には「こんな時5人ならどうするかな?」って思うだろう。そして、今までと同じように”どうか毎日、楽しく充実した日々を過ごせてますように!””健康でいられますように!””怪我しませんように!”って願うだろう。 

 

本人たちがその旅を決めて出発することにした。本人たちもそれがどんな旅になるのかわからない。どんな気持ちになるのかも。でもあの5人のことだから、この決断を絶対に無駄にしないだろうと思う。自分はその旅が5人にとって素敵なものになるといいな思う。好きな気持ちは変わらない。会えないことだけが寂しいだけ。

 

もうちょっと時間が経ったら、本当にいないんだなって思う日が来るのかな。今はまだよくわからない。急に乗ってる電車が止まったら、間違いなく車両の突き当りまでぶっ飛んでるタイプの人間ですよね。*1

そしてカッコわるくて笑ってごまかして、あとでこっそり痛くて泣くんだろうなと思う。そんな時も、きっと私が頼るのは嵐さんで。嵐の音楽を聴くんだよ。

 

大好きな嵐、行ってらっしゃい!

ここでずっと、待ってるよ!!!!!

 

 

 

 

 

*1:そうならないように、2年も時間を用意してくれたけど。嵐さんの走るスピードはどんどん加速するもんだからさ。こっちも必死に走って。結果、出発間際には汗だくで「行っておいで~」って手をふるのが精一杯だった