あらしさんのこと ひとりごと 

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記憶と記録

3月11日。震災の日にTV番組をいろいろ録画したものをやっと見終わり。買っておいた翔ちゃんの「Newsweek」をやっと読み、コトノハ2回分をやっと読んだ。と書いてこれアップする前に、翔ちゃんの第三弾がさらに投下されてた(笑) しかもまだ続くと。翔ちゃんがまた書いてる途中なのに、こっちが先に感想書いちゃったらダメ?

 

翔ちゃんは今頃、絶賛ドラマ撮影中。年明けからは新番組も抱えて想像しただけで忙しそうなのに、震災からの10年のことを文章にまとめるのは容易じゃなかっただろうなぁ。でも、編集さんが並走してくださったのおかげで完走できたんだね。よかった。

ひとりで悩んでいろんなことと向き合い続けた人にとって、自分の横に並んで新しい視点やさらにフィットする言葉を探して一緒に走ってくれる人がいるって、すごい感動だろうなぁと思う。

 

翔ちゃんの口からぽろぽろきいていたエピソードを、こうしてまとめて読んでみて。その時翔ちゃんが感じたことを我がことのように追体験する。涙を抑えることが難しかった。取材する人の覚悟は相当だったろう。取材側の人のことなどあまり想像したことはなかったけど。

 

個人的に思うには。

いつもぐるりといろんな人の立場や状況からモノを観ようとしてる翔ちゃんにとって、瞬間的に感情をさらけ出したり、それをそのまま人に投げかけたりすることは、きっとあまり得意じゃなくて。だから翔ちゃんの言葉は、時に遠巻きというか芯を食わないというか。ちょっとだけ、もどかしくなる瞬間もあるのだけど。

長い目で見て、何度もその取材対象との関係性を積み重ねて、そこが抱える物語を丁寧に記録していくことの根気強さ。誰も傷つけない心配りと寄り添う気持ちをとても強く感じる。表にはわかりやすく表現されていないけど、その根底に熱いものを感じる。それがとっても翔ちゃんらしいなぁと思う。

 

きっと翔ちゃんは、この先もずっと記録を重ねていくのだろうな、と思う。翔ちゃんにとって嵐は、そこから生まれたいろんな想いをみんなの幸せのために還元できる場でもあった気がする。

嵐のお休みの間、その場所を翔ちゃんはどこに求めるのかな。という素朴な疑問が浮かんだ。