あらしさんのこと ひとりごと 

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母と暮らせば

年明けてから、母と二人で観に行ってきました。
内容にも少し触れます。
まだこれから観に行く方で多くを知りたくない方は避けてくださいませ。

追記です。

にのちゃん、日本アカデミー 優秀主演男優賞受賞 おめでとう!

1月22日まで丸の内ピカデリーで特別上映されてる35ミリフィルムの「母と暮らせば」
観に行きたいなって思ってたの、29日まで延長になってる!
頑張って行ってこようかな。


自分は「かわいそう」って言葉、好きじゃない。
憐れんでいる感じの余裕さとか、まるで自分はかわいそうじゃないって言ってるみたいで。
なんか自分が使うことも、人が使うこともどこかで嫌っている。

劇中で何度もこの「かわいそう」って言葉が出てくるの。
でも、ここでは、その言葉はまるで違った響き方をして。
だって、「かわいそう」って言ってるその人だって十分”かわいそう”な状況じゃないか。
大事なものをたくさん失って、自らも苦しい生活をして。
その人が使う「かわいそう」は、どれだけ酷いことに対してなのか。
きっと平和な生活しか経験のない自分には、くみ取り切れないものもあるかもしれない。

何もなければ、今日も明日も明後日も、ずっと続いていく日々。
その先にあるはずの未来を生きれる命を、あっけなく消し去られたところから始まる物語。
幽霊になっても、明るくておしゃべりな浩二が
本当の意味で自分の死を受け入れるまで、その無念さに涙を流すシーンは悲しい。
愛する人の幸せを願って、自分の想いを手放す姿が悲しい。

現実に、どれだけの人がこの無念の涙を流しただろうか。
どれだけの人が二度と自分のもとへ戻らなかった愛する人を思って泣いたのだろう。
そして、ひとりで亡くなっていたんんだろうと。
そう思うと、ずっと何を見ても悲しくて。静かに勝手に涙がでた。

浩二が自分が死んだことを「運命」だと言って、
母・伸子が「それは運命なんかじゃない」と言う。
「運命? 違う。
台風や津波は防ぎようがないから運命だけど、これは防げたことなの。
人間が計画して行った大変な悲劇なの」

この物語の中で、井上ひさし氏や山田洋次監督がいちばん伝えたいことはここに尽きるだろうな。


戦後70年。
戦後と使えるのは、きっと戦後に生まれた人だけで。
戦争を生きた人にとって、戦争は死んでもなおその魂が抱えたまま、終わらないものなのかもしれない。
と、浩二を観て思った。

教会のラストシーン。
迎えに来た浩二と肩を寄せ合って、ほっとした表情でこの世を去ろうとする伸子が幸せそうに見えることがものすごく悲しかった。



劇中のにのちゃんを切り取ると。
なにしろ幽霊で、ほぼ母伸子と一緒の家でのシーンと回想シーンしかないから。
瞬間のような場面ばかりになるけど。

あのアカペラで歌う声のよさ。
町子と見つめあう甘く潤んだ瞳。
炭だらけになって仲間と過ごす姿。
戦後、生きることの意味が色あせていく伸子や町子の心の中に生きる、瑞々しい浩二の姿。

「赤めだか」でも中学生役を自分でやったと言って。
もう30も超えて、そろそろ回想シーンは本当の中学生でいいんじゃないか的な話しがあったけど。
にのちゃんの持つ、この瑞々しさはやっぱり特別なんだよ。って思うよ。
年齢的には、そのギャップから演じることが難しい役も多いのかもしれないけど。
これはどっちかといえば、武器でしょう?
歳を重ねても失わない、あんなに無垢に澄んで、瑞々しくいろんな光りを宿す瞳は、探してもそうそう見つけられないと思う。
それはにのちゃんが今まで信じて生きてきたものが生み出した光りだと思うから。

あまり間を置かずに、またにのちゃんの演技が観れるのを楽しみにしている。